お箸を綺麗に持つということは『お守り』を持つことと同じだと思う【箸の持ち方について】
蘭子です!
あるツイートがきっかけで、お箸を綺麗に持つことの是非が問われていますね。
長くなるので先に書きますが、私は「お箸を綺麗に持てるように躾けるべき」派です。
私自身はお箸の持ち方に自信があるし、自分で言うのもなんですがお箸が綺麗に持てずに苦労した覚えがまったくなく、おそらく早い段階で綺麗に持つことができるようになってたので、お箸が綺麗に持てない人の気持ちは正直わかりません。
お魚を綺麗に食べるのも自信があります。
だからと言って、お箸の持ち方が汚い人を目の前にして、それを馬鹿にするようなことを言うのは間違いだ、ということは心の底からわかるし激しく同意します。
でも、そういう個々人からの直接の悪意から身を守るサムシングとして、お箸を綺麗に持つ技術は役に立つのだな、と思いました。
つまり、お箸を綺麗に持つ技術は、幼いころより親から授けられた『お守り』とも言えるのではないでしょうか。
それ以外にも幼少期より親や学校の先生など、大人たちに教えられてきた躾やマナーも勿論そうです。
『お守り』を持っていれば、誰かに無駄に悪く言われることもなく、必要以上に自信を失うこともないわけです。
もし何か言われたとしても、「僕・私はちゃんと出来てる」と思える確固としたものがあるというのは、生きていくうえで、心の拠り所となるのではないでしょうか。
(だからと言って出来ない誰かを責めるのは絶対ダメですし、それは別の問題なので、ここでは書きません。)
そのような意味で、お箸を綺麗に持つ技術は、一生有効で、一生心の中に持っていられる『お守り』となるわけです。
なので、多くの親たちは、その『お守り』を子供に授けてきました。
可愛い我が子が、恥をかかないように。自信をもって生きていけるように。
社交界とまではいかなくとも、素敵な人たちと交流する際に、臆する要素が一つでも少なく勝負していけるように。
『お守り』を持っていないからと言ってその人を馬鹿にしたり攻撃したりするのは間違いですが、
『お守り』を持っている人のほうがより本人の魅力を出しやすく、勝負の際に良い結果となりやすい。
だから、お箸は綺麗に持てたほうがいいな、むしろ汚い持ち方は損だな、
綺麗な箸の持ち方を教えないということは、子供が損をするように育てることとある意味同じなんだな、
と今回の件を通して思いました。
私は子供へたくさんの『お守り』を持たせてあげたいな。おしまい。
蘭子